待っている人のいる家

あなたが帰る家には、だれがいますか。
待っていてくれる人はいますか。
そこは、心安らぐ場所ですか。
聖書の中に登場する数々の家。
だれが住んでいるのでしょう。
だれが訪れたのでしょう。
そこには何がありますか。
人の温もりですか。
匂いでしょうか。

ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、駆け寄って彼の首を抱き、口づけした。

「もう、帰る家もない」
遊興にふけり、財産のすべてを失ったとき、彼はそう考えたかもしれません。思えば、自由で気ままな生活を夢見て旅立ったのでした。しかし、お金はすぐに底をつき、いまは食べることすらままならない毎日です。
――これは、聖書にある放蕩息子のたとえ話です。

何もかも失ったかのように見えましたが、しかし、彼にはたった一つだけ失わなかったものがありました。父の家です。そこには、彼の帰りを待っている父親の姿がありました。放蕩に身を持ち崩したとしても、父親にとっては、かけがえのない息子なのです。

聖書は、神のもとから離れた人間は、この放蕩息子のようなものだと教えます。その息子を待つ父親のように、神もまた、私たちが帰るのを待っておられます。

当集会では、聖書の救いについてお伝えする特別福音集会を行います。ぜひこの機会に、当集会にお越しくださいますようご案内いたします。

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